「あったらいい」を「なくてはならない」へ | 色塾BLOG-

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日々のビジネス・社会に対する思いや、起業に向けた考え、読書に対する感想など様々な話題を、海外で働くマーケターとしての第3者の視点から展開。

この週末は、OiE(http://www.otonaineducation.org/)というNPO団体に友達に誘われて、中学3年生に「仕事とは?」について考えるプログラムに洗足女子中学に行ってきました。

まず、驚いたことが2つ。
・土日もずっと生徒さんが勉強していること
・僕たちが校内を歩くと、「こんにちは」という挨拶がされること

この2点に「ハッ」とさせられました。
・自分より年下の人間が、土日も忘れて勉学に取り組んでいる
・知らない人に対して挨拶をする習慣

それだけなのですが、自分にはできていないことをできているなぁと反省しました。

そして、仕事について。いろんな人のキャリアについての話も伺って非常に勉強になりました。

その中でも、今回のプログラムを通じていくつか感じたことがありました。

・授業中、すごく真剣に聞いている子もいれば、隣とずっと喋っている子もいる
たぶん、思い出せば自分たちの教室もそうだったなあと風景が蘇ってくるかもしれません。僕の場合は、高校生の時は、興味のない授業では、机でほとんど授業中携帯をいじるか、怒られると寝たりしていました。

それは、「オトナ」の仕事場とは違う風景。「全員起きて、全員黙って、全員集中して仕事をする」という当たり前の規則を当たり前に守る。

僕は、意外とこんな感じでもいいかもなぁなんて思っちゃいました。
まあ、実際に仕事場がそうなった時に嫌な気持ちになりそうなのも想像はできますが、
このくらい自分がいまやることに素直で、自分の関心に素直で、その分友達とじゃれあったりして。そんな仕事場で、結果がでるのであれば、それはそれでいいなぁとそう思いました。僕もたまにですが、アイデアが欲しいときなどにはぼ~っと考えながら散歩にでたり、部屋でもちろん一生懸命考えるときもあったり、1人でこもって椅子に体重を傾けてぼ~っとしたり。そういう隙間の時間が本当に大事。論理的に考えたって別に「( ・∀・) イイネ!」となる答えがでることなんてホンットにありませんから。

・中学生の話を聞いていると、facebook禁止、Mixi禁止、HeySayJumpを応援するためにmp3ではなく、CDを買う。などギャップが思った以上にありました。もちろん進学校ならではの部分もあると思いますが、そうやって校則に縛られたなぁというのを思いだし、毎日校門でひげ剃りとはさみをもって待ってくれた生活指導の先生を思いだしました。

「何かを制限する」ということが教育にとってよいのか悪いのかに関しては、僕は何もまだ言える立場ではないですが、そうやって自分も制限の中で生きてきたのだなと目の前で感じる機会でした。

・仕事における大義名分の重要性
仕事の最終的なモチベーションの拠り所は大義名分だ。僕は客観的にさまざまな話を聞いていてそう思いました。商社のように国益に思いっきり関わり、また人の生活の安全に関わる仕事の話は、やはりすごくわかりやすくて、納得しやすくて、働いている人に「プライド」を感じさせてくれます。
そして、誰もが「なくてはならないと思うか?」と聞けば、ほぼ100%の人が「その仕事は必要だ」と答えるでしょう。そんな仕事をすごく羨ましく思いました。僕自身は、消費財のマーケティングという、いってみれば「生活や安全」に関わるというよりは、ユーザーの声により応えるために、そして、ビジネスをより伸ばすためにという部分をやってました。現在の、インターネットサービスなどに関して言えば、今から作っていくものだから、「なくてはならない」というようなサービスって言ってしまえばほぼないと思いました。Facebookにしろ、Twitterにしろ、なくてもいいといわれればいいかもしれません。Amazonはなくなったら困るなぁと思いますが。いつの日にか、FacebookやTwitterもなくてはならない存在になる日が来るのかもしれませんが、是非ともせっかくやるのであれば、「あったらいい」を「なくてはならない」のレベルまで持っていく、それこそが、社会にとって、従業員にとって、重要なことなのかと思いました。

・仕事ってなんでしているんだろう?
…ここだけは、もう少し時間をかけて自分を納得させていく必要があるかと思いました。先日の「自分はいかされている」にもあるように、やはり何らかこの世の中を進化させていくために、ある使命を推し進めることなのかもしれないのですが、イマイチピンと来ない。もう少しゆっくりできる時間を見つけて考えます。


なんだかひさびさにゆる~りとした思いつきだらけの日記でした。

おしまい