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色塾BLOG-

日々のビジネス・社会に対する思いや、起業に向けた考え、読書に対する感想など様々な話題を、海外で働くマーケターとしての第3者の視点から展開。


「永遠の0」を書いた百田尚樹氏の新作小説。
最近は、ビジネス系の本も、いわゆる自己啓発っぽい本もほとんど読まなくなり、専ら小説ばかり。

友人に、「なんかこの本を読んでいたらお前を思い出した。」というメールを頂き、2週間の週末をかけて、「海賊と呼ばれた男(上下」」を読み、そのストーリーとなった背景の出光佐三という人物に関する本を数冊読んだ。

海賊とよばれた男 上/講談社

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海賊とよばれた男 下/講談社

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これは、出光佐三という出光石油を作った人物のノンフィクション物語。
1人の日田という人物から、大金を託されて創業。太平洋戦争時に「一人の馘首もならん」と言い切り、1人の首も切らずに芯を貫き通した男の物語。GHQの支配から始まる、石油メジャーによる2次的な産業支配のなかで、如何に一人の気丈な男が信念を貫いていくかが書かれてあった。

3つの心に残った言葉を残しておきたい。
・「黄金の奴隷となるなかれ」
・「私は、人間を信頼するという考え方を広めていくことこそ、日本人の世界的使命と行っています。」
・「互譲互助、無我無私、義理人情、犠牲とかはみんな『お互い』からできている。その『お互い』ということを世界が探している。」

彼にとって、創業とは「利益の追求」ではもちろんなく、「拡大させていく資本主義ゲーム」でもなく、植民地支配を続ける物質主義的価値観を持った欧米による戦争ゲームに使われる戦略的資源を持つことで国・市民を守るための仕事。また、人々の生活必需品としての石油を安定供給するための仕事だった。

そして、別の本で、こうも言っている。
「出光には定款が二つ存在する。一つは、法律上の定款で、石油事業である。もう一つは精神上の定款である。人間がお互いに仲良くすれば、こういう力が出るということを示すことである。それが出光の本当の仕事である。」

魂を掛けて戦う彼の姿は、僕が憧れる存在に非常に近く、心を鼓舞された。

「お互い」を「信頼」し、「お互い」のために「働く」
というシンプルな生き方をしたい。

よく言われる、
「自分」の「市場価値」を高め、「スキル」を磨き、「お金持ち・傲慢」になって、自分の「自由」を得て、ゆっくり「幸せに」暮らす。

なんて生き方は、本当にダサイ。

友人のシェア以来、頭を離れないこの物語をシェアして締めよ~っと。・・・

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メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。

すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、
漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、
女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、
漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、
ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、
日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、
子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」

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出光佐三―黄金の奴隷たるなかれ (ミネルヴァ日本評伝選)/ミネルヴァ書房

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出光佐三 魂の言葉―互譲の心と日本人/海竜社

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無事、「君は、こんなワクワクする世界を見ずに死ねるか!?」のイベントを終えた。
リーダーのHさんが本当によくやってくれたし、私がいることで貢献できたことはどれほどだったのだろうか。

ひとまず、イベントを無事終え、ニコニコ動画で公式番組となり、200名の参加者と視聴者1万人の方に、田村さん、村上さん、藤沢さんの生き様を伝えられたことはなによりも嬉しい。

そして、それぞれの人が、それぞれの夢や思いを語った。それを聞いているだけでワクワクした。その空間を共有できたことが嬉しい。

僕自身は運営側で、正直話をほとんど聞けなかったという悔しさは残る。
でも、それでも参加者のみなさんが何かを感じ、思い、動き出せばそれが一番よいのだと思う。

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この活気を見てもらえばわかるだろう。
どれだけ熱気に包まれた会場だったかは。

そして、本日はいつもお世話になっている方に招待されて、
ムハマドユヌス氏の講演会に昭和女子大学まで。

http://www.afan.or.jp/afan_now/723reaflet2.3.pdf

ビジネスという利益拡大のフレームで動く時代で物事が解決できる時代は終わっている。
違うフレームを見つけなければならない。

と語るユヌス氏の言葉にうなずきながら、でも今のビジネスとは何が違うんだ?と。
要するに利益を求めないということだけなのか?といまいち腑に落ちないソーシャルビジネスの講義に耳を傾けた。

詳細をここで語るには長くなりすぎて厳しいのだが、多くの登壇者が、今自分が社会問題の解決のために動いていることを語っていた。1つ1つの行動に感動した。


この最近の2つのイベントを起点とした出来事によって、
1つシンプルなことに気付いた気がするので、書き留めておくことにした。


それは、大事なことは「動くことだ」ということ。

藤沢久美氏は、学生からのQAセッションでの「悩み相談」に対して、こう言っていた。
「私は、このような悩み相談があることが残念です。悩んでも答えなんてわからないのだから、決めるしかないじゃないですか。決めて動けばいい。」

村上憲郎氏は、
「正解なんてわからないでしょ。あみだくじなんですよ。1つを選べばもう片方は選べない。だからどっちが良かったかなんてわからないでしょ。」

ユヌス氏は、「ユヌス氏自体がすごい」というよりは、ユヌス氏が問題に対して真正面に周囲の反対があろうと「動いた」という事実がすごくて、その積み重ねがユヌス氏を作っているのだと改めて思った。

そう、最近、「人」に対して、もしくは「権威」に対してすごいと思うことはほぼなくなった。
それが偉い会社の社長さんだろうが、プロ選手だろうが、別にヒトとしては同じ。

それらを差別化しているのはやはり「行動」以外にはないのだと思うようになった。

言い訳をせずに、まっすぐに思ったことに対して動く。
このことを意識して人生を歩んでいきたい。
以前から、多くの沢山の方に逢わせて頂く機会を得て、日々学びながら自分の生き方・あり方について考えたり動いてみたり、失敗してみたり、ときに動けなかったりしているわけですが、

「こんなに素敵な様々な出逢いの機会が、他の人にもあれば人生おもしろくなるのに!」

と思い、

「何か自分にできることはないか、一緒にもっと僕が得たような機会を増やして、みんなにも経験してほしいので何か一緒にやろう!」と問うたところ、

こんなイベントを考えていたので一緒にやりましょうよ。ということになり、お手伝いさせてもらっています。

日本が危ないなどといっているけれど、じゃあどうすればいいのか?
リーダー不在などというけれど、君はそれに対してなにができているのか?
日本に降りかかる、高齢化・年金問題など大きなチャレンジが待ち構えています。

それは政治のせいなのか?企業のせいなのか?

自分は、その問題に対して何か動いたのか?
自分は「今」「どんな一歩」踏み出すのか?


元参議院議員、田村耕太郎氏の「君はこんなにワクワクする世界を見ずに死ねるか」の出版も記念して、「若者が海外にでていくこと」をテーマにした、下記イベントを開催することにしました。

参加ゲストは、

元参議院議員       田村 耕太郎 氏
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元Google Japan名誉会長  村上 憲郎 氏
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世界経済フォーラム(ダボス会議)ヤング・グローバル・リーダー2007 藤沢 久美 氏
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に決まりました。


参加者の多くの方が、この会を機に、
「頭をガツンと殴られた!」

そんな経験をして、次のアクションに移す!
そんなことを実現したいと思っています。

「来るもの拒まず、去る者追わず」ですが、200名の定員はすぐに埋まってしまうかもしれませんので、参加してみたい方は、早めに下記URLから参加申し込みをお願いいたします。

「非常に意味があった」と思っていただけるような場にしたいと思っていますので、
もしよろしければ周りの人に教えていただいたり、Twitterやfacebookで「シェア」なりしてみてください!

日本の若者から、立ちはだかる問題に対して一人ひとりが、はじめの一歩を踏み出していきましょう。どうぞよろしくお願いします。

【詳細説明&申し込みURL】

http://cvsli.org/world/

参考図書:こちらが参加の際の課題図書になります。


俺は原色のまま生きたい

そう強く思ったときから、「色塾」は始まり、このブログは続いている。
無色無味無臭の人生なんかまっぴらだ。

そこに敷いてある道があれば、壊せばいい。

俺は、尖った「出る釘」であり続けるし、
もっと個性を思いっきりだしていこうぜ!

みんなのもっている「色」を、そのままに出していこうじゃないか!
信じる道を貫く。それが人生だ!

「世界70億人が、70億色の色で人生を全うする。」
これが、色塾という名前の由来です。


先日、6月14日、29歳を迎えました。

「俺、何歳になったんだっけ?」と聞いた末に、自分が29歳という数字に達成したことを知りました。

「20代最後の歳を謳歌してください。」というメールを見たときに、「あ、20代最後なのか」と思いました。

まるで、ぼけてしまったように、ほぼ何も記憶のないこの頃。

原色の服ばかりを好んできていた自分ですが、最近はそうではなくなりました。
自分だけを中心に考えていた「脳みそ」は、相手の気持ちを考えようとするようになりました。
空気など存在しなかった僕の周囲には、空気が存在し、それは読むものなのだと考えることもあるようになりました。

同時に、

「偉い人」は存在せず、「媚びへつらう必要はない」ということがわかってきました。
自分は「原色」を望みながら、「雑色」だということもわかってきました。
「やればできる」こともわかってきましたし、「できないのはやらないからだ」ということもわかってきました。
そして、「やったけど、できない」場合も、「それもそれでいい」と思うようになりました。
「目標」は、気持ちを鼓舞するための道具であり、本質ではないことがわかってきました。


それが悲しいのだと思う時がたまに訪れますが、
同時に、それが人間としての成長なのだと思う時があります。

でも、結局は、そんなことはどうでもいいことなのだと思う時があります。

問題なのは、

「お前の心は燃えているのか?」
「燃えたぎっているとは胸を張れないぜ。バカヤロー!」

それだけな気がします。

そんな感触を得ながら、それでもなあなあで生きています。

もっと命を燃やして生きたい。

そんなことを望んでいる俺は、
ただ単に、自分自身にビビっているのだと思います。

ビビっているから、成功したいとか、お金とか、出世とか、
そういう意味のわからないものを追いかけようという衝動もでてくる。

ただそれだけのこと。

無欲とか他喜とかいっているけれど、
別にそれは本質ではないのだと、己の中はわかっているはず。

気づかぬふりってやつです。

本質は、「俺、ビビってる!」
それしかないのだと思う。

要は、本気で生きてりゃ別にいいんだ。

おい、俺!己と覚悟決めて、死ぬ気で闘えよ。

それが、本質なんだと思うようになりました。


岡本太郎さんのこの言葉にササりました。

「面白いねえ、実に。
オレの人生は。

だって、道がないんだ。
だからぼくは、”本職は人間だ”と答えてやるんだ。」



大バカ者万歳!人間万歳!




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やっとのこと。

最近の僕のテーマは「エゴ」だということが輪郭を持って明確にわかってきました。

「自捨新生」「他喜」を2012年のテーマとしましたが、半年経った今。
頭ではわかるのに本質がついてこない。

そういう視点で過去のブログをみてみると、すべての瞬間瞬間に自分が自分のエゴと闘っていこうと苦しんでいるんだなぁということが理解できました。そして、そのテーマについてササルものに触れたときに、自分はブログを書いているようです。

岡本太郎さんのエントリに書いた、

「自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。」

「阪急電車」のエントリを書いた時、
「人には馬鹿にされておけ」というエントリで感じていたときに発した言葉。

人に好かれようと人気を集めようとするより、自分を信じて、自分らしく生きてみる。
「人には馬鹿にされておけ」という言葉。

「降りていく生き方」のエントリで書いた、

「今」のタイミングっていうのは、自分にとっては、もう自分の成功とか、勝負とか、お金とか、地位とか、そういうものが不要なんだっていう価値観にかわってきているときで、むしろ50-60年後の80-90歳の自分を描いてみたときにそんなものに拘っていたところで、「振り返った自分の何が幸せなんだろう?」って絶対に自分は思う気がしていて・・・

逆に、今まで僕はそういう「周りからみた評価・評判」や「勝ち負け」とか、そういうものに全ての体重をよりかけて、毎日勝負して、勝っては「俺はすごい」と思い、「負けてはならん」と頑張り、そこからでてくるエネルギーで生きてきた人間なので、その拠り所がなくなってしまって、ある種ふにゃふにゃな状態なわけです。

「リーダーシップ」のエントリで書いた、

リーダーシップとは、
みんながみたいと思う夢を語り、
みんなに夢を語り続け、達成したいとなるべく永く強くわくわくしてもらい、
そんなみんなの夢を達成するために、なんでも行動する人のことだ。

実は、今年に入ってからのエントリは全部「エゴ」に対する迷いや苦悶だったりして。

頭ではわかってきてるんだけど、どうしたらいいんだよ!
とぐちゃぐちゃな迷路を裸足で歩いたり、たまに暴走したりしていました。

苦悶の日々は過ぎるだけで、なかなか自分自身は変わっていかない。
そんな日々でした。

先日、山本真司さんとお逢いさせていただきました。
元ATカーニーやベインコンサルの代表をされていた方です。

山本さんに逢ったことがきっかけで、少しずつ見えてきた気がします。
彼の言葉でいうと、「欲と無欲のあわせのみ」だそうです。

わかってきたこととは、

1.自分がエゴの塊で生きてきたことを認め切れていなかったこと

…自分の中で認め切れてなかったところがあったと思いました。でも、はっきりわかりましたし、認めました。自分はエゴの塊だってこと。そして、同時に自分がそうであるにも関わらず、エゴの塊の人を好きだと思わないこと。だから、ただの自己防衛として「自分はそうではないんだ!」と思おうとしてきたこと。

2.エゴがあるままに、「他喜」というテーマに向かっても、この6か月うまくいきませんでした。山本さんの著書にもありますが、同様の経験をされたとありました。

…エゴを出しすぎていてはうまくいかないと悟り、「他喜」だと頭で理解して行動しようとしました。「自分のエゴよりも、他人の利害を優先する」ようにしました。

結果としては、うまくいかず、なんか生きた心地がしませんでした。または、他者の感情をマネジメントしようと表面を繕っていくだけでした。自分の中では腑に落ちず、わかる相手には、「あの人には所詮、あの人の結果を出すために使われるだけだ」という感情を起こさせるようになった。というストーリーがありました。
自分も同じだったと思います。

3.「無欲」だと自分にモチベーションがわかないこともわかりました。
…僕は数ヶ月間、徹底的に無欲になろうとしました。その名の通り、やる気をただ無くして終わりました。無欲では自分のエンジンが全くもってかからないと知りました。

1~3.までを経た結果、
その先にあるものはなんなんだろう・・・と悩んでいました。
どうすればいいんだよ!と投げ出したくもなりました。

そんな中、山本さんに出逢い、ある言葉に出会いました。
「自分の成功はどうでもいい。他者の利害を優先する。自分のための能力を伸ばすのではなく、他者のために能力を伸ばす。」

欲は、
・人を幸せにすること
・自分が自由であること
のために持ちなさい。

・自分の目標を達成するための欲は捨てなさい。

そういうことだと受け止めました。


特に、
「自分のための能力を伸ばすのではなく、他者のために能力を伸ばす。」
という言葉は目から鱗でした。

そんな風に自分の成長を捉えたことは、実はなかったように思います。


こんな風に抽象化して表現しても、無意味かもしれませんが、今までの過程を振り返るとこうなるかもしれません。ほぼ山本さんの著書にも書かれていることの引用になるかもしれません。

第1段階 自分のエゴのみに頼って猛進
第2段階 エゴだけではうまくいかないとしり、自分のエゴを認識
第3段階 エゴ+他者をマネジメントしようと繕う
第4段階 エゴ<他者に挑戦するもうまくいかず
第5段階 「無欲」になろうと挑戦するもうまくいかず
第6段階 エゴ=他者の幸せ

初めて、悶々としてた雲一杯の空から、太陽の光が見えた気がしました。
なんか、こう書いちゃうと微妙な感じもしますが、明日からまた頑張ります。




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この本を読んで、衝撃的だった。
同じようなことをいう方は沢山いるが、これだけ言葉が一文一文自分に迫ってくる本には初めて出会った。

この本に出会うべき人だと感じる人、自分がこの本に出逢ってほしいと思う人に、
この本を勧めている。

これほど自分が人にモノをおすすめしようとしていることは人生で初めてかもしれない。

どうしてもこの書籍に出会えことの喜びを共有したくて、ブログの記事にしてみようとするが、
岡本太郎自身よりも鋭く描ける自信がないので、引用だけにする。

「本当にいきていくためには、自分自身と闘わなければだめだ。~つまり、自分自身の最大の敵は他人ではなく、自分自身というわけだ。たとえ結果が思うようにいかなくたっていい。結果が悪くても、自分は筋をつらぬいたんだと思えば、これほど爽やかなことはない。人生というのは、そういう厳しさをもって生きるからこそおもしろいんだ。」

「本当に生きがいをもって、瞬間瞬間に自分をひらいて生きているかどうか。
 システムのベルトコンベアーに乗せられ、己を失って、ただ惰性的に生活を続けているというのなら、本質的に生きているとはいえない。
 ~
 自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。
 己を殺す決意と情熱を持って危険に対面し、生き抜かなければならない。今日の、すべてが 虚無化したこの時点でこそ、かつての時代よりも一段と強烈に挑むべきだ。
 強烈に生きることは常に死を前提にしている。死という最もきびしい運命と直面して、はじめていのちが奮い立つのだ。死は生理的な終焉ではなく、日常生活の中に瞬間瞬間にたちあらわれるものだ。この世の中で自分を純粋に貫こうとしたら、生きがいに賭けようとすれば、必ず絶望的な危険をともなう。
 そのとき「死」が現前するのだ。惰性的にすごせば死の危機感は遠ざかる。しかし空しい。死を畏れて引っ込んでしまっては、生きがいはなくなる。今日はほとんどの人が、その純粋な生と死の問題を回避してしまっている。だから虚脱状態になっているのだ。
個人財産、利害得失だけにこだわり、またひたすらにマイホームの無事安全を願う現代人のけち臭さ。卑しい。~
人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ。死ぬのもよし、生きるのもよし。ただし、その瞬間にベストを尽くすことだ。現在に強烈にひらくべきだ。未練がましくある必要はないのだ。」

少しでも行き詰っている人は、必ず読んでみてください。




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http://www.bestmania.com/item/vsh0fhlxsvkpc/
今テレビで映画「阪急電車」が放映されていたので見た。

なんだか、縁を感じる映画で、
昨今DVDなど見ることはないし、TVをゆっくりみることもそうなくなった。今日ひっさびさにふらっとレンタルDVDに寄ったときにも「この映画が見たい」と思ったし、有川浩という名前が仕事をしている間に何度もできてき、阪急電車という小説があるのも最近知った。でも、最終的に借りることはなかった。

そんな映画だったが、家に帰ってきてふとテレビのスイッチをつけると、まさに映画がスタートする直前だった。


阪急電車 (幻冬舎文庫)/有川 浩

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阪急電車 片道15分の奇跡 [DVD]/中谷美紀,戸田恵梨香,南果歩

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これは、阪急電車を背景にした、ごく普通の人々の物語。

「暴力をふるう彼氏に翻弄される女性」
「結婚の約束をしたのに、寝とられて結婚破棄になった女性」
「いじめにあって、毎日死にたいと思っている少女」
「電車の中でつねにガヤガヤ騒いで、高級なランチを毎日食べに行くアシヤ―ゼたち」
「すごく優しい彼氏と、家族・受験勉強・進学で悩む高校生」
「田舎者で神戸のおしゃれな友達の仲間になんとなく入れない大学生」
「どこか変わっていて、大学で打ち解ける仲間がおらず、知らない人には軍事オタクと馬鹿にされ、世間から馬鹿にされていると感じている男子学生」


これらは、一般的にはそれぞれ独自の価値観をもっているのだが、なにか周りに翻弄されてしまう人たち。

でも、それは特別なことでもないような気がする。
みんななんとなくやりきれない悩みを持って生きている。

僕だって同じ、器用とはいえない多くの人間のひとり。

そんな人々が阪急電車を通じて、見知らぬものが同士が出会い、声を掛け合って、ほんの少しの会話を通じて、「あなたはそのままでいいんだよ」ということを伝え合うストーリー。

「価値観の合わない人と無理して過ごしても時間が無駄なだけ。」
「でも、人生捨てたもんじゃないね。」
という台詞。

以前書いた「馬鹿にされとけばいいじゃないか」というものにもつながる。

今の僕には、ちょうどどこか何か訴えかけてくるような運命の映画だったと思う。
友人に会うと、「なんか無理してない?」とか「らしくないね。」と言われることが増えた昨今。

そうだ。もう、もっと、自分らしくいよう。


もう数週間前のことだが、田村耕太郎元参議院議員のお話を聞く機会があった。
そして、今日は朝からやっていた社会保障の議論TVを見ていた。

昨今、この年金や社会福祉というのがよく議題にあがっている。
しかも、それは予算や国債のはなしと必ず紐付いて。

個人的にもこれは大きな問題だと思うが、論調がいつもお金の話になるのが気になる。

基本的に議論されることは非常に簡単にまとめると以下のようなことと理解している。
「現在の人口ピラミッドは、高齢化によって高齢者割合が増える。加えて、人口減少によって、経済規模は少なくなる。財務基盤が崩壊しかけている日本に追い打ちをかけて社会保障の問題が覆いかぶさるように逓増していくのだから、今の年金・社会保障制度を保つなら、税額Upをしなくてはならない。なので消費税をあげる。」という論調。

本当にそうなのだろうか。

社会保障給付費の内訳を「医療」、「年金」、「福祉その他」に分類して部門別にみると、「医療」が30兆8,447億円で総額に占める割合は30.9%、「年金」が51兆7,246億円で51.8%、「福祉その他」が17兆2,814億円で17.3%である。


高齢者が医療にかかる内、本当に必要な医療とは何か?必要な医療費はどの程度なのだろうか?

…朝から大学病院にいくと、診察は9時からなのに、6時から高齢者が待機して、ずっと世間話をしている。無駄な薬を処方される。年収数億円の高齢者が医療費がゼロだと宣う。

年金も、もう少し整理をすればいい。
本当に必要な人に支払われる年金でいい。


消費税の増税1%につき2兆といわれるので、5%Upで10兆円が賄えるという皮算用を政府はしているようだ。もちろん消費が抑えられればそううまくはいかない。

しかし、この10兆円という額は医療費負担が30%減になればいい話であって、10兆円のマイナスでOKなわけだ。今病院に入っている数が10回ならば7回にする。その努力で消費税Upは防げるのかもしれない。

年金も、富裕者の年金を支払わないといえばいい。金融資産含め1億円以上ある世帯は100万世帯。
東電の年金月額が40万以上というから、富裕者の1人あたり年金月額が50万円とすれば、6兆円。

あまりにも単純計算だが、これだけの我慢で消費税増は例えば防げることになる。

今までの社会福祉のムダを整理して欲しい。
そして、国民も、「消費税Up反対!」と子供のような喚きをするのではなく、自分ができる節約をまずしてみればよいのではないだろうか。

こんな普通の解決策等もある中で、なぜ政治家にそのように国民に強いる政治ができないかといえば、多くの政治家が、金好き、計算好き、強いもの好きで、票集めにいそしむ性格だからなのだと思う。

最近あった政治家さんからは、理念は聞こえてこず、票集めに耽り、ヴィジョンといえば金と経済成長の話ばかりするのには閉口した。

冷静に考えてみて、消費税増税がどうこうとはどちらがいいかわからないが、このような世の中は、たとえ消費税増税しようが、しまいが、たぶん人々(=国民)の意識が変わらないければ何も変わらない。そうなるには、特に上にたつものの価値が変わらねばならないと思う・

これは、爆風スランプのサンプラザ中野の座右の銘から知った言葉で、心に突き刺さった。
「人には馬鹿にされておけ」
そのくらいが丁度いいのだと思う。

人に好かれようと人気を集めようとするより、
自分を信じて、自分らしく生きてみる。

「人には馬鹿にされておけ」

「人をバカにする」事自体がそもそもナンセンスなんだから。

※アサヒビール名誉顧問中條氏の言葉
自分の胸を三度叩いて、正しいと思ったことはやる
組織の力に負けて、口をつぐんでいても事態は改善しない



今日は、友人に誘われて、「降りていく生き方」という映画を見に行った。

いわゆる一般的に上演をしているものではなく、有志の方がボランティアベースで上演をしているような映画であり、木のミシミシいいそうな階段を登った奥に、上演会場があり、普通の部屋をぶったぎってスクリーンを取り付けた。そんな会場での、30名限定での上演だった。http://www.nippon-p.org/mov.html

僕にとっては、タイミング的にまさにぴったりの映画だったような気がする。

その中でも心に残った言葉はこれだ。

『発酵と腐敗って同じ事なんですよ。人間にとって有益だったら、発酵と呼ばれ、有害だったら腐敗って呼ばれます。自分のもの、自分のお金、自分の成功、自分の自分のっていう我欲は、腐敗を招きます。でも、その道をとことん体験して、はじめて腐敗にいきあたって、そして発酵の大切さが分かる人もかならずいます。良くなるために、悪くなるってことがあることを忘れないで欲しいんです。』

この言葉が出てきたシーンで、心がジーンとなり、涙が自然と出てきました。


タイミング的にっていいましたが、「今」のタイミングっていうのは、自分にとっては、もう自分の成功とか、勝負とか、お金とか、地位とか、そういうものが不要なんだっていう価値観にかわってきているときで、むしろ50-60年後の80-90歳の自分を描いてみたときにそんなものに拘っていたところで、「振り返った自分の何が幸せなんだろう?」って絶対に自分は思う気がしていて。

そんな考え方に変わって来ている時期なんです。むしろ、年末にも書きましたが、「自捨新生」なんていったりして、自然と、そして無理矢理とどちらかわからないけど、パラダイムシフトを起こしているとき。


逆に、今まで僕はそういう「周りからみた評価・評判」や「勝ち負け」とか、そういうものに全ての体重をよりかけて、毎日勝負して、勝っては「俺はすごい」と思い、「負けてはならん」と頑張り、そこからでてくるエネルギーで生きてきた人間なので、その拠り所がなくなってしまって、ある種ふにゃふにゃな状態なわけです。


だから、最近、「最終的に何したいの?」って言われても、答えなんて正直ないんです。

今までそうやって目標を作って、それに向かって我武者羅にやってきたからこそ、そんな自分が気持ち悪くて、弱っちく見えるときもあって、苦しく感じるときがあったりもするわけです。


目的とか…成功とか…成長…とかでさえ、特にどうでもいい対象になりつつあるんです。
ただ、なんとなくこういう人間でいたいっていう像があるくらいで。

「大してなんかなくていい。かっこよくなんてなくていい。だから、大したことを別にしようとしなくていい。かっこよくみせなくていい。」

こんなことを僕自身が言うのも若干気持ち悪いですが、そう思います。

それを降りていくとか昇るという言い方の反意語として扱うのは若干の違和感はありますが、1つの価値観の選択肢として、そういう選択をしているのだと思います。

そして、そんな根なし草な僕の支えになるものの1つは、
やはり本当に心が共鳴するミッションというか使命というか、そんなものです。


昨晩、いろいろときっかけがあって、昔の自分のブログを見返していました。
3年ちょい前の大晦日に書いたもの。
http://ameblo.jp/irojyuku/archive1-200812.html

●自分のミッション

「世界中に住む、①人生への目的を持てずにいる人、②人生への目的はあるが、達成するMotivationが沸かない人、③目的を達成しようとしているが、方法がわからず困っている人、④方法も分かっているが、実行に移す際に障害がある人(未完成)」を対象として、そのソリューションを提供し、共同して実行の手助けを行うことによって、生活におけるでの満足を感じていけるようになって頂くこと。そのような社会システムの構築に寄与すること。


●今後について

25~28歳(成長期):より大きな観点から客観的に見ることにより、自分を等身大に理解し、周囲を理解し、その相互理解の下に自分を律する方法を学ぶ。世の中の仕組みに対する理解を深め、自分なりの思索を持ち始めるようになる。

28~36歳(研鑽期):自分なりの考えを基に、実践を始める。失敗と苦労を重ねながら、それを糧に経験を積み、本質的に何をしていくべきかに対する思索を深め、その方法論に関する実践的知恵を得る。

37~55歳(実践期) 成功と失敗を通して自分や周囲・世の中に対する理解を深め、迷うことなく1つの事業に集中・実践する。達成する。


…僕にとってみれば、この通りこの3年間は動いている。

現在やっているエモーチオのビジョンは「おもう、つながる、うごきだす」だし、会社を設立したのは、28歳。その年からは「怒る」ことをやめるようになったし、自分に見えている自分と他人から見えている自分にあまりにもギャップがあることも少しは理解し始めたのだろうし。

そうやって研鑽していって、実践に入るまであと9年なのね。笑


毎日を真剣に。たまにはハメを外しながら。
周りにどう見られるかよりも、自分がどうありたいか。
あとは、天に任せてやるべきことをなす。
そしてしっかり結果がでるまでやり続ける。

「アメニモ負けず」宮沢賢治

雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち
慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている

↑こんな肩肘張らなくてもいいけど、こんな感じで生きてゆきたいね。

P.S.
最終の僕の37~55歳の事業というのは、なんとなく、ずっといっている教育を含めた、介護とか、福祉とか、そういう事業をするんだな。と直感的に思ってます。今の自分からはなかなか想像もつきませんが。笑 そして、日本や世界を支える柱の事業にしたいな。テヘ。





たぶんこのブログでは、何度か今までにもリーダーシップのことについて触れたことがあるかもしれない。

その言葉は前の会社であるP&Gに入れば、毎日聞かされていた言葉だ。
まるで「おはようございます」よりも「リーダーシップ」という言葉を聞く回数のほうが多いくらいに。

だから、僕自身もこの言葉には囚われているし、リーダーシップとは何か?という疑問はいつも胸にある。

そして、その定義はいつまでも変わり続ける。

リーダーシップは環境によってもちろん変わるし、その人のステージによって変わっていくのだと思う。
とはいっても、そこには普遍的に共通するコアがあるのだと思うのだが。

今更になって、自分がリーダーシップなんてことすら考えるのがおこがましいと思ってしまう。

それは、自分が立派なリーダー足り得るかということに満足がいっていないというのはもちろんのこと、
そんなものは、概念でもなく、喋る対象でもなく、行動でしかないと思うからだ。

行動のないリーダーシップは、権力と呼ばれるものなのだと思う。
権力とリーダーシップはやっぱり根本的に違う。

また、僕はこの言葉を記憶としてとどめておきたいがために、急にブログを書いている。

リーダーシップとは、
みんながみたいと思う夢を語り、
みんなに夢を語り続け、達成したいとなるべく永く強くわくわくしてもらい、
そんなみんなの夢を達成するために、なんでも行動する人のことだ。


という言葉がふと心に浮かんだ。

かつての自分は、極端にいえばこう考えていた。

リーダーシップとは、
自分が見えている成功をビジョンとして語り、
そのビジョンにみんなをいかにコミットさせ、
それを達成していくために、みんなに動いてもらう人のことだ。

この差は、しみじみと思うが、大きい。
とてつもなく大きい。