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色塾BLOG-

日々のビジネス・社会に対する思いや、起業に向けた考え、読書に対する感想など様々な話題を、海外で働くマーケターとしての第3者の視点から展開。

四角大輔さんの言葉。

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「みんなにわかってもらう」から「自分の気持ちを信じる」へ 

心の声にすべてを懸ける

同時に、すべての責任は自分が取ると覚悟する

"心の声"を徹底的に研究するんだ

そんなスゴイ製品は、誰かひとりの"熱狂"が形になったもの

100万人に届く歌は、誰かひとりのために創られた曲

世界を変えられるのは、そういうものだけだ

誰にでも人生に一度は、すべてを賭けて挑むべきプロジェクトがある

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強烈に共感するし、狂うほど熱狂しなければと思う。
そして、狂うだけの「腹を括る」ことからしか、物事は動いていかない。

だって、そうじゃなきゃ人の心は動かないし、人はあなたの為に動いてくれないだろうから。

熱狂して頑張っている人をみたら、助けたいと思う。それが人の美しい心。

坂本龍馬が好きだった「自我狂」という言葉。
山県有朋は自らを「狂介」と改名し、吉田松陰は自らを「狂愚」と呼んだ。
孟子にある「孟子の狂者を重んじ、狷者をこれに次ぎ、郷原を悪むの心事を忖度すべし。」という言葉
そして、SteveJobsの「Stay Hungry, Stay Foolish」

狂わなければ「物事を興す」ことはできない。
そして、狂わなければ、スゴイ製品もスゴイ歌も創れない。
世界は動かない。心は動かない。

狂うほどのエネルギーしか、物事を前に推し進めてはくれない。


最近よく思う。

左脳というものは本当に正しい決断を邪魔してくる。
そして、計算をさせ、新しい意味のない基準でロジカルで利己的な決断を僕に迫ろうとする。

「ホント邪魔だから!出てくんな!」って思う。
だから、なるべく近づいてこないように気をつけている。


話は少し飛ぶが、僕はこの対談が好きだと思った。
http://toyokeizai.net/articles/-/11686

話の内容もさながらなのだが、この会話がゾクゾクする。

「いや、わかんないけど。理由とかは。でも行きたいじゃん?」

人が何かを好きか嫌いかに、本来理由なんてないでしょ。
なのに、なんでも理由をつけて、意味のない会話をする。

そんな世界は歪んでいる。

それと同じことで、
人が狂うのにも理由はない。

自分を如何に自分の感覚に素直に常に開けているか。

このことがすごく大事。

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この週末は、OiE(http://www.otonaineducation.org/)というNPO団体に友達に誘われて、中学3年生に「仕事とは?」について考えるプログラムに洗足女子中学に行ってきました。

まず、驚いたことが2つ。
・土日もずっと生徒さんが勉強していること
・僕たちが校内を歩くと、「こんにちは」という挨拶がされること

この2点に「ハッ」とさせられました。
・自分より年下の人間が、土日も忘れて勉学に取り組んでいる
・知らない人に対して挨拶をする習慣

それだけなのですが、自分にはできていないことをできているなぁと反省しました。

そして、仕事について。いろんな人のキャリアについての話も伺って非常に勉強になりました。

その中でも、今回のプログラムを通じていくつか感じたことがありました。

・授業中、すごく真剣に聞いている子もいれば、隣とずっと喋っている子もいる
たぶん、思い出せば自分たちの教室もそうだったなあと風景が蘇ってくるかもしれません。僕の場合は、高校生の時は、興味のない授業では、机でほとんど授業中携帯をいじるか、怒られると寝たりしていました。

それは、「オトナ」の仕事場とは違う風景。「全員起きて、全員黙って、全員集中して仕事をする」という当たり前の規則を当たり前に守る。

僕は、意外とこんな感じでもいいかもなぁなんて思っちゃいました。
まあ、実際に仕事場がそうなった時に嫌な気持ちになりそうなのも想像はできますが、
このくらい自分がいまやることに素直で、自分の関心に素直で、その分友達とじゃれあったりして。そんな仕事場で、結果がでるのであれば、それはそれでいいなぁとそう思いました。僕もたまにですが、アイデアが欲しいときなどにはぼ~っと考えながら散歩にでたり、部屋でもちろん一生懸命考えるときもあったり、1人でこもって椅子に体重を傾けてぼ~っとしたり。そういう隙間の時間が本当に大事。論理的に考えたって別に「( ・∀・) イイネ!」となる答えがでることなんてホンットにありませんから。

・中学生の話を聞いていると、facebook禁止、Mixi禁止、HeySayJumpを応援するためにmp3ではなく、CDを買う。などギャップが思った以上にありました。もちろん進学校ならではの部分もあると思いますが、そうやって校則に縛られたなぁというのを思いだし、毎日校門でひげ剃りとはさみをもって待ってくれた生活指導の先生を思いだしました。

「何かを制限する」ということが教育にとってよいのか悪いのかに関しては、僕は何もまだ言える立場ではないですが、そうやって自分も制限の中で生きてきたのだなと目の前で感じる機会でした。

・仕事における大義名分の重要性
仕事の最終的なモチベーションの拠り所は大義名分だ。僕は客観的にさまざまな話を聞いていてそう思いました。商社のように国益に思いっきり関わり、また人の生活の安全に関わる仕事の話は、やはりすごくわかりやすくて、納得しやすくて、働いている人に「プライド」を感じさせてくれます。
そして、誰もが「なくてはならないと思うか?」と聞けば、ほぼ100%の人が「その仕事は必要だ」と答えるでしょう。そんな仕事をすごく羨ましく思いました。僕自身は、消費財のマーケティングという、いってみれば「生活や安全」に関わるというよりは、ユーザーの声により応えるために、そして、ビジネスをより伸ばすためにという部分をやってました。現在の、インターネットサービスなどに関して言えば、今から作っていくものだから、「なくてはならない」というようなサービスって言ってしまえばほぼないと思いました。Facebookにしろ、Twitterにしろ、なくてもいいといわれればいいかもしれません。Amazonはなくなったら困るなぁと思いますが。いつの日にか、FacebookやTwitterもなくてはならない存在になる日が来るのかもしれませんが、是非ともせっかくやるのであれば、「あったらいい」を「なくてはならない」のレベルまで持っていく、それこそが、社会にとって、従業員にとって、重要なことなのかと思いました。

・仕事ってなんでしているんだろう?
…ここだけは、もう少し時間をかけて自分を納得させていく必要があるかと思いました。先日の「自分はいかされている」にもあるように、やはり何らかこの世の中を進化させていくために、ある使命を推し進めることなのかもしれないのですが、イマイチピンと来ない。もう少しゆっくりできる時間を見つけて考えます。


なんだかひさびさにゆる~りとした思いつきだらけの日記でした。

おしまい
昨今、何かとこんなことを考える。
「一体、自分とはなんなんだろうか?」

哲学者か!というツッコミもくるかもしれないが、なんだかその疑問がいつも頭を離れない。

理性とはなにか、感情とは何か。
そして、俺はなんなんだ!どうしたいんだ!って。
俺はどう生きていきたいんだって!

毎晩、論語を漢文で白紙に写して、自分の仁義徳について考え反省する自分と、
すべての感情・感性を爆発させて、我(われ)がままにと思う、
ある意味矛盾するともせぬとも言えない2つのベクトル。

一方で、
DNAで全ては決まるという遺伝子学者。
人間のことなんて、大きな歴史や生物の進化から考えればスケールが小さいと言い切る友人。
外資金融をやめて、自然農業を徹底的に実行する友人

そんなことから妙に好奇心が湧いてどうしようもなくなって、
理系ではない僕から最も遠い「遺伝子」の本を読みあさった。

それが面白すぎて仕方ない。

塩基の配列によるプログラムがDNAには暗号のように書かれていて、それが各細胞に存在する染色体に存在する。染色体とは、螺旋状の塩基配列である何cmにも及ぶDNAがある規則でX形にコイルのように巻かれて存在しているものだと。

まるで暗号が書かれた絵巻物が存在し、それがプログラミングにように人間の設計図となって細胞の中に存在する。

ネットの世界に入って、プログラミングの「いろは」の「い」を学び、その面白さに夢中になりつつある今、そんなことを考え始めたらもう面白すぎて眠れなくなった。

でも、一卵性双生児の発達はいくら設計図が同じであっても成長の過程で性格も変わっていく。
じゃあ設計図だけでは人は決まらないではないか。一体なんなんだと。

別に答えが欲しいわけでもないけれど、答えもでることなく、悶々。

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・人間にとって、肉体(細胞)は2年に1度生まれ変わるものであるから、肉体は自分ではない。理性は後天的に得られるものであるから、本来の自分ではない。
では、自分は誰か。それは今ここで感じている自分であるという感性論哲学・東洋哲学

・人間の人生にはしかるべき法則があるという易学・運命論

・相手を思いやる気持ち(仁)をはじめとした、「仁義礼智信」こそが大事だという儒教

・輪廻転生を唱える仏教や「無」こそが全てという「禅」の思想

・サムシンググレート(神)が存在するというキリスト教をはじめとした西洋宗教

・人間はDNAであり、そのプログラムによって決まる、人間は再生できるという遺伝学者


浅学ながら、1個1個、何かヒントを掴み取るように自分の悶々から解決を求めるように、
それらに一通り触れて感じるのは、「それらは全て繋がっている」ということ。


別に答えはでないのだけれども、そんなことを試行錯誤しながら反芻しているうちに、

ひとつだけ、
「頭でわかったつもり」だったことが少しづつ「腹におちて」きていることがある

それは、
「自分は生きているのではなく、生かされていること」
「自分にある全ての才能や運は全てなにかしらから頂いているものに過ぎないこと」


そして、それらは、
「少なくとも自分の私利私欲のために消費するものではなく、還元するべきものであること。周りのヒト、モノ、すべてに。」

それだけは少しずつではあるが、確信へと変わり、血肉に変わりつつある。

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以前に聞いた言葉だったが、前出の「南洲翁遺訓」を通じて再会したこの言葉。
昨今考えていたことと非常にシンクロするものがあった。

内村鑑三とはキリスト教思想家で、日露戦争に非戦論を唱えた人物。
彼が明治27年、日清戦争の真っ只中に行った講演会の記録である。

「誰にも遺すことのできる遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。
 この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えを、
 われわれの障害に実行して、その生涯を世の中への贈物として、この世を
 去るということであります。・・・(中略)・・・
 本当の最大の遺物は何であるか、それは勇ましい高尚なる生涯である。」

私はこの言葉に共感した。

彼は講演会の中で、キリスト教徒として相応しくないがという断わりの下でこうもいっている。

後世に残したいものとして、
1.金
2.事業
3.思想・書物
4.教育

とあった。

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私は、「教育」がしたいと心の底から思っているし、中学からずっとそう思っている。
僕がそこでいっている「教育」とは「事業=(ビジネス)モデル」でもあり、「思想」でもあるかもしれない。

しかし、数ヶ月前に友達と飲んでいるとき、こういわれた。

「お前さぁ、教育とか偉そうなこといってるけど、何が教育なの?教えるもんなんかあるの?あほちゃう?」って。

そう言われて、「その通り、俺は阿呆」だと思った。
「何を教えるのか、何を育むのかわかっていない」のに教育とはなんだと。

それから、じっくり考えた。

俺はそうしたいと感じていることには違いないが、全く意味がわからないということも同時に違いない。俺は一体何がしたいのだと思った。

結論として、今のところピンと来ているのは、まさに彼の言葉が代弁する通りだ。

「種々の不都合、種々の反対に打ち勝つことが、われわれの大事業ではないかと思う。それゆえに、ヤコブのように、われわれの出逢う困難について、われわれは感謝すべきではないかと思います。・・・またふたたびどこかでお目にかかるときまでには、少なくともいくばくの遺物を蓄えておきたい。この一年のあとに我々が再び会しますときには、われわれが何か遺してあって、今年は後世のためにこれだけの金を溜めたというのも結構、事業をなしたというのも結構、また私の思想を雑誌の一論文に遺したというのも結構、しかしそれよりもいっそう良いのは後世のために私は弱いものを助けてやった、私はこれだけの困難に打ち勝ってみせた、これだけの品性の修練をしてみた、これだけの義侠心を実行してみた、これだけの情実に勝ってみたという話をもってふたたびここに集まりたいと考えます。この心掛けをもって我々が毎年毎日進みましたならば、我々の生涯はけっして五十年や六十年の生涯にはあらずして、実に水の辺に植えたる樹のようなもので、だんだんと芽を萌き枝を生じてゆくものであると思います。けっして竹に木を接ぎ、木に竹を接ぐような少しも成長しない価値のない生涯ではないと思います。こういう生涯を送らんことは実に私の最大希望でございまして・・・もしわれわれが正義はついに勝つものにして不義はついに負けるものであるということを世間に発表するものであるならば、そのとおりにわれわれは実行しなければならない。われわれは後世に遺すものはなにもなくとも、われわれは後世の人にこれぞと覚えられるべきものはなにもなくとも、アノ人はこの世の中に活きているあいだは真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したいと思います。」

私なりに解釈するならば、
「生き様」を遺すということかもしれない。

苦難でもなんでもかかってくればいい。
轍が残るくらいに徹底的に瞬間瞬間を、気合入れて生きてやる。

今は素直にそう思う。



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南洲翁遺訓を読んだのはこれで3度目。
ただただ、圧倒され続けた2回。

西郷隆盛という人物の実際の行動は、書物で見聞きするしかないが、その言動一致の様は文字として読むだけで心動かされる。

西郷隆盛という名前を聞くと、思い浮かぶのは山岡鉄舟との無血開城のシーン。
この偉人の胆力があったからこそ、「革命」は進み、今がある。
http://www.geocities.jp/ikiiki49/page006.html

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言動一致は、そうあるべきというのは正論だけれども、実際は至極難しい。
心と体が一致するということ。

それはまさに「敬天」と同義であり、自分以外の何かとしての創造主である天を敬うことから生まれる。天を敬えばこそ、仁義に基った判断の上で行動が一致される。

自分を愛し尽くしたところで、残るものは虚。

何程制度方法を論ずるとも、其の人に非ざれば行われ難し。
人有りて後ち方法の行わるるものなれば、人は第一の宝にして、己れ其の人に成るの心懸け肝要なり。


やはり、大事は「人」。
人としての器を磨き、大きくなりたい。

思っているのに叶わない自分が毎日、毎晩、悔しいと思う。

悔しさに慣れてしまっているのか。
無気力な悔しさをバネに、すべてを打破する気力を持ちたい。

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は
始末に困るものなり
この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を
共にして国家の大業は成し得られぬなり


始末に困る人間。
僕は、憧れる。

うまく言葉がでてこなく、反省のメモ書きのようになってしまった。

「敬天愛人」という言葉を胸に、1秒1秒を大事にしたい。

道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。

[新訳]南洲翁遺訓/PHP研究所

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++2011年6月5日++
たまたま誘われていった講演会に『我武者羅應援團』武藤貴宏さんとの出会いがあった。それは静かながらも僕の心には衝撃的にササッた事件だった。


あなたが、あなた自身が、今本気で生きなきゃどうするんだよ。
あなたが、あなた自身を、愛してあげなくてどうするんだよ。


本気のメッセージを受け取ったその時から約1年半。この本をまた手にとった。

「本気で生きる」以外に人生を楽しくする方法があるなら教えてくれ

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◆ ササッた部分の備忘録

・いつかやろうと思うなら、今やれよ!
僕はいつもそう思っている。
 あなたが思っている「いつか」とはいったい「いつ」なんだ。
 明日か、明後日か、1年後か、10年後か。
 はっきり言って、そんな「いつか」なんて来ない。

・「本気になれるものが見つからない」なんて間違っている!
 「やりたいことが見つからないのは当たり前
 それは、あなたが本気じゃないからだ。

・結果を変えるんじゃない。
 結果に向かう、自分を変えるんだ!

・僕が言いたいのは、現代の、日本の、あなたが勤めている会社と言うごく狭い社会の中で「仕事がうまくいかない」からといって、あなたという人間すべてが否定されるなんてことは、絶対にありえないということだ。

・1年前の自分を見て、笑えたら合格だ。

・空気を読むのはもう十分だ。
 本当に読むべきなのはあなたの心だ。

・主語を抜くな

・人生は打率ではなく、打席数で決まる

・あなたを応援するのはあなた自身だ



これだけの短文を読んで、どんなことを感じましたか?

私は「悔しい」と思った。

あの出会いに感動してから1年半経った今、
「当たり前だよ!俺は本気だよ!」と100%胸を張って言えない自分自身に。
「そうだよな、頑張らなくちゃ」と応援されちゃってる自分の不甲斐なさに。

「動け!もっと、俺、動けよ!もっと心を燃やせよ!」
と歯を強く噛みしめている自分が今ここにいます。


「人生は打率ではなく、打席数で決まる」
この言葉だけは、頭の中に叩き込んで生きていこうと私は思いました。

1打数-1安打 打率10割の人生は俺は生きない。

たとえ、

それが10打数1安打で打率1割でカッコ悪かろうが、
それが100打数1安打でどうしようもなくて生きていくのもスレスレだろうが、

俺は、動いて、失敗しても次の打席にたって、思いっきりバットを振って、
悔しくてたまらなくて。

そんな人生を選びたい。

むしろ打率なんか関係ない。それは「周り」が気にしていればいい。
俺は、今、手に持っているこのバットを思いっきり魂こめて振ることだけに集中して。
最近、日に日に強く感じるようになってきました。

それはなにかマリオブラザーズをやっているような感覚。
新しい未来がどんどん自分に近づいてきて、それを一生懸命前へと進もうとする感覚。

時間軸が、未来から現在へ流れてくる感覚。
「今」しかないという感覚。

過去というものはもはや消えてなくなっているのだから関係ないという感覚。
過去の自分に依存しない感覚。

まさに、ハードルがどんどん押し寄せてくるような感覚。

この差し迫る臨場感。人生二度なし。

人生二度なし (Chi Chi・Select)/致知出版社

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また、心にササる本に出会った。

下記、引用させてもらおうと思ったら、
書く言葉が強すぎてコメントをすることもなかったので、
そのまま備忘録として残しておきます。

伝わる言葉
僕は言葉には頭でわかる事と、心に響く事の、二つの要素があって、前者は論理的思考が関係して、後者は内省が関係すると思っている。僕は後者に偏っている人間で、話している時も整合性があるかどうかより、その人が心地良さそうにしているかどうかの方が気になる。

デッドポエッツソサイエティという映画があって、詩がうまく作れない少年を先生も追い込まれて追い込まれて、思わず叫んだ詩が素晴らしくクラス中が拍手するというシーンがある。僕はあのシーンを見て、ああ、響く言葉は白状だと思った。

白状と言っても、そもそも本当の気持ちに気付く事自体が相当難しい。人は人生の過程で自分を決定的に傷つけないような説明を作り上げていて、その強固な鎧が邪魔をして本当の自分にはなかなか辿り着けない。そもそも痛すぎてそれを隠しているから、真っすぐ見ようとするとかなり苦しい。

人はもう一人の自分に説明しようとする。僕はこういう理由で価値がある。こう考えるから傷ついていない。こんな事平気だって知っている。本当は感じている事をそのまま受け取ると辛すぎるからそう考えようとしているのだけれど、ずっと説明をし続けていると自分でも本当の気持ちがわからなくなる。

言葉を発するというのは少なからず寂しいからやっているのだけれど、本当に自分の気持ちに気付いていないと、話せば話すほど伝わらず、寂しさが増す。それを頭の問題だと思うと、一生懸命考えて自分に説明、相手を説得する事に意識がいき、余計に相手に伝わらなくなる

心を開かないものはまた相手にも開かれず、相手をジャッジするものはまた相手にジャッジされている。そして受け入れてもらった経験の少ないものは、本当の事を言えば自分は認められないという恐れを抱いている。伝わる言葉は、自分への説明、他人への証明をやめる事で始まると、僕は思う。

勝ち負け
人生が勝ち負けだと思っている人は、考えを変える事や相手の意見を聞く事が負けに思えて、頑固になりがちな気がする。どうして負けたくないかというと、勝たないと自分に価値があると思えないから。自分を許せてない人は、勝ち負けに拘り、そして勝ち負けに拘る人は、人の共感を得ない。

感謝について
感謝を言い過ぎる人は、感謝をされる存在がいる事を忘れている。感謝は絶対的にいいものだと思っている。だから相手に押し付けられる。強すぎる感謝は同時に恐れを抱かせる。感謝を裏切れば憎まれるという恐れ

感謝をするなら、死にこそ感謝し、苦にこそ感謝し、あなたを裏切るものにこそ感謝する。
感謝するものとしないものを分けてやいないか。感謝されたから感謝しなければという
プレッシャーを与えていないか

苦しさ
人生の苦しさは正しい事が無い事にあって軸の無さにある。この苦しさを自覚している人はその話をするのだけれど、無自覚の人は何かに軸を委ねている自分にも気付いていないから、その軸が言う正しさを自分の正しさだと信じて答えを返す。

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なんだか難しいタイトルをつけてしまった。

先日、ひさびさに友人と飲みにいったときに、飲んだ勢いでふと、
「お前にとっての価値って何なの?」という問を投げられて答えられずにいた。

そして、ふとある本を読みながらそんなことを考えていた。

僕は、ブランディング・マーケティングを職業としていた。

ある「モノ(便益)」に対して、「"OnlyOne"で"NO1"」になれるための意味を見つけ、それを「キャッチーなコピー・シンボル」に変換して、「響く人」に効果的・効率的に同じことを訴え続ける。

それが仕事の一部であり、いってみれば「モノ」の価値の一側面を作っていた。と思っていた。

価値があるから存在する意味があるのか?
存在する意味があるから価値があるのか?
それとも、価値はわかりやすいシンボルに決めて叫べばできるものなのか?

そんなことを考えた時期もあったけれど、たぶん、全て正しいのだと思う。

ただ、「価値」というのは「人」を軸に、主に「人の役に立つか」で決められることというのが前提である。

だから、ブランディングにおいても、根本を辿れば最終的な「キャッチコピー」は「製品便益」から作られることになる。

「価値」というものは、そういう意味では、本来的にいえば「対個人」でしか存在し得ないのだが、それは多数決や他人の総意によって社会的な意味で言えば形成されていく。

だが、「社会的価値」は「人の役に立つ(=便益)」という意味としての多様性(=曖昧さ・脆さ)を保っては社会的にシンボルとして生きていられないから、本来の意味を忘れて、いつのまにか例えば、「金」「役職」「成功者」などというわかりやすいものに取って代わられていく。

「便益」を元にマーケティングキャンペーンを作ったのに、
いつの間にやら最後は、「今一番売れています」というキャッチコピーに変わるのと似ている。

そうやって、社会的価値に翻弄されている内に、「自分にとっての価値」はわからなくなる。
そして、人は他人の総意でつくられたシンボルを求めるようになる。


本当に「価値」を追い求めるならば、
『自分が「人の役に立つ」と思うこと』をまっすぐやることが、
そう言う意味で言えば理にかなっている。

それがわからなくて苦しいときは、

「自分は「価値」がないから大切じゃない」んじゃないか、

なんて思いつめないで、

「あなたがただ大切だ」

と伝えてくれる人がいればいい。

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アフリカにはこんなことわざがあるそうだ。

“もし早く行きたいなら、一人で行け。もし遠くに行きたいなら、みんなで行け。”


こんなことも昔言われたことがある。
「アメリカのジョージ・W・H・ブッシュ大統領は、優秀で頭脳明晰な部下を選んだ。
アメリカのカーター大統領は、部下を選ばず、部下に選ばれた。

お前はどっちになりたいんだ?」

踊る大捜査線の有名なセリフ
「俺に部下はいない。いるのは仲間だけだ!」

最近、こんな会話もそういえばあった。
「最近変わったことってなんですか?」

「う~ん。別に自分が結果を出すことには拘るし、そこは絶対に結果に拘っていくけど、それでもでなかったらでなかったでまあいいかって思えるようにもなったかな。消極的な感じではないんだけど、全体がうまくいっていればそれでまあいっかって思うこともでてきた。」

「それは松井みたいな考え方ですね。」

「どういうこと?」

「イチローは、自分が結果をだして、チームに貢献したい。松井は、自分が結果がでなくても、チームが勝てばいい。って考えてるって話がありますよね。」

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ほとんどのことは何を言われても記憶力のない僕が、これらの言葉が、僕の心に少なくともササリ、記憶として残っているのはそういうところに問題意識があるからだろう。

「みんな 仲間 選ばれる」 

「部下 一人 選ぶ」

それもなにもかも、
「君の中心は、自分か?他人か?」ということに帰結していく気がする。

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