心にササった本―「走る哲学」為末大 | 色塾BLOG-

色塾BLOG-

日々のビジネス・社会に対する思いや、起業に向けた考え、読書に対する感想など様々な話題を、海外で働くマーケターとしての第3者の視点から展開。

また、心にササる本に出会った。

下記、引用させてもらおうと思ったら、
書く言葉が強すぎてコメントをすることもなかったので、
そのまま備忘録として残しておきます。

伝わる言葉
僕は言葉には頭でわかる事と、心に響く事の、二つの要素があって、前者は論理的思考が関係して、後者は内省が関係すると思っている。僕は後者に偏っている人間で、話している時も整合性があるかどうかより、その人が心地良さそうにしているかどうかの方が気になる。

デッドポエッツソサイエティという映画があって、詩がうまく作れない少年を先生も追い込まれて追い込まれて、思わず叫んだ詩が素晴らしくクラス中が拍手するというシーンがある。僕はあのシーンを見て、ああ、響く言葉は白状だと思った。

白状と言っても、そもそも本当の気持ちに気付く事自体が相当難しい。人は人生の過程で自分を決定的に傷つけないような説明を作り上げていて、その強固な鎧が邪魔をして本当の自分にはなかなか辿り着けない。そもそも痛すぎてそれを隠しているから、真っすぐ見ようとするとかなり苦しい。

人はもう一人の自分に説明しようとする。僕はこういう理由で価値がある。こう考えるから傷ついていない。こんな事平気だって知っている。本当は感じている事をそのまま受け取ると辛すぎるからそう考えようとしているのだけれど、ずっと説明をし続けていると自分でも本当の気持ちがわからなくなる。

言葉を発するというのは少なからず寂しいからやっているのだけれど、本当に自分の気持ちに気付いていないと、話せば話すほど伝わらず、寂しさが増す。それを頭の問題だと思うと、一生懸命考えて自分に説明、相手を説得する事に意識がいき、余計に相手に伝わらなくなる

心を開かないものはまた相手にも開かれず、相手をジャッジするものはまた相手にジャッジされている。そして受け入れてもらった経験の少ないものは、本当の事を言えば自分は認められないという恐れを抱いている。伝わる言葉は、自分への説明、他人への証明をやめる事で始まると、僕は思う。

勝ち負け
人生が勝ち負けだと思っている人は、考えを変える事や相手の意見を聞く事が負けに思えて、頑固になりがちな気がする。どうして負けたくないかというと、勝たないと自分に価値があると思えないから。自分を許せてない人は、勝ち負けに拘り、そして勝ち負けに拘る人は、人の共感を得ない。

感謝について
感謝を言い過ぎる人は、感謝をされる存在がいる事を忘れている。感謝は絶対的にいいものだと思っている。だから相手に押し付けられる。強すぎる感謝は同時に恐れを抱かせる。感謝を裏切れば憎まれるという恐れ

感謝をするなら、死にこそ感謝し、苦にこそ感謝し、あなたを裏切るものにこそ感謝する。
感謝するものとしないものを分けてやいないか。感謝されたから感謝しなければという
プレッシャーを与えていないか

苦しさ
人生の苦しさは正しい事が無い事にあって軸の無さにある。この苦しさを自覚している人はその話をするのだけれど、無自覚の人は何かに軸を委ねている自分にも気付いていないから、その軸が言う正しさを自分の正しさだと信じて答えを返す。

走る哲学 (扶桑社新書)/扶桑社

¥819
Amazon.co.jp