お金とのつきあいかた | 色塾BLOG-

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日々のビジネス・社会に対する思いや、起業に向けた考え、読書に対する感想など様々な話題を、海外で働くマーケターとしての第3者の視点から展開。

僕にとって、「お金との距離の取り方=間合い」というのは人生の中で大きなテーマ。
それは、自分の善悪と関わりがあって、人との間合いとも関わりがある。

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自分が29年間生きてきて、親がコツコツ貯めてくれたお金で「申し訳ないな~」と少しは思いながらも受験・進学をして、自分で稼げるようになったらバイトをやりながらコツコツお金を貯めて、実家で暮らしながらそのお金を全て趣味だったレコードとファッションに費やした時代があって、いろいろ自由にいきてみたものの死を目前にしたことが何度も重なることがあって、サラリーマンをやって、一人で暮らして、全ての所有物が失火とともに灰になって物が全くない時期があって、シンガポールでアホほど贅沢な暮らしをして虚しく感じた時期もあって、給料を半分に下げてベンチャーをやって、自分たちに賭けて何億も投資してくれる人たちに出会ってありがたさや暖かさを感じて、ビジョンはあるものの大金儲けもしようと思ってやったけどそんなうまくいかなくて。

そんな紆余曲折をしているうちに見えてきたことがある。

僕にとって今のところ最も賢いと思う「お金とのつきあいかた」はこんな風なことなんじゃないかと思う。



① 生活していくお金・大切な人や家族を最低限支えるお金
・・・ここがなくなったら、不安だらけで頭がお金に支配され始める。そうすると、ドケチになったり、自分に投資することがなくなったり、精神的に卑屈になって人を受け入れにくくなったり、盗みを働いたり。このラインは人によって違うと思うが、やはり最低限暮らしていき、安心をするためのお金。僕にとっては、月に30万円くらい。これは絶対に必要で、何が何でも死守するべきお金。

② 自己主張のために使うお金
・・・①以上のお金は持っていても、自分のために使っても意味のないお金。いい住宅に住む、別荘を買う、食事のときにむやみやたらに奢って人気集めをする、もてたいからかっこつける、いい車に乗る、いい女と遊ぶ。このお金をそうやって「自分のため」に使っていると、碌なことがないし、碌な人が集まらなくなる。僕はそういうお金の使い方を軽蔑するし、したくない。しても、僕みたいな人間は結局虚しくなるのがオチだ。

③ むやみやたらに節約・貯金するお金
・・・②はしなくても、今度はむやみやたらに貯金をすることもある。これは「お金に対する考え方」がなく、何か無知の恐怖に苛まれていることになる。自分で投資をしてリスクを取ろうともせず、環境からくるなにものかもわからないリスクに準備をする。これは自分自身の成長を止める。そして、なんか意味もなく全てにおいて節約・ケチをする。そうすれば、ケチな人間は嫌だと思う人もでてくる。人間関係も狭くなる。最終的に死ぬ間際にお金が手元に残る。遺産争いが起こる。だから、結局は意味がなくなるだけじゃなくて、悪影響が大きいと思う。

僕は今までこう思っていたし、だから①しか要らないと本気で思っていた。
あとは、②が嫌なので、弱③に自然になる。こんなお金とのつきあい方をしていたと思う。

それがいいと思っていたし、だからお金なんて最低限あればいい。多くは要らない。
多くをもって、金ばかり追いかけることは意味がないだけでなく、害になると思っていた。

そんな風に思いつつ、でも、誘惑っていうのはやっぱりあって、自分で株を持って、ベンチャーをして、人から投資をしてもらった金なんだけど、これがうまくいったら「●億」はいくな。なんて妄想して、正直ニヤツいちゃうこともあったわけだ。捕らぬ狸の皮算用は一番にやにやできるマスターベーションだよ。

成功したら、金儲けてなんか人生変わるかも。なんて、自分には手にもしたことないし、想像もしたことがない億っていう単位の額のお金が自分たちに現実に動いた瞬間に、ちょっとお金に目が眩みそうなこともあった。

でも、そんなこと考えていても、そこから発想しても、
自分は本気になれないし、そんな考えを隣の誰かさんに話そうものなら軽蔑されることもあった。

そういうお金とのつきあいかたをしていたら、「お金」は離れていって、キャッシュが回らなくなる不安から、「何か金儲けをしてキャッシュを如何につなぐか」ばかりを考えざるを得なくなって、「自分の自由が離れていく」のを感じることもあった。

自由がないっていうのは、僕が本当に嫌なことNo.1であって、
俺はちっちゃいときに「俺は奴隷じゃないんだ!」って思いっきりみんながいる前で叫んだことがあって、それだけは記憶に鮮明に残ってて。だから俺は自由でいたい。

話は少し飛んじゃったけど、そんな経験から、お金はむやみやたらに追いかけても仕方がないし、いいマンションに住みたいと少しも思わなくなったし、おいしいご飯は吉野家の牛丼だし!そしたら「飲み屋で使う1万円は30牛丼か~♪」なんて、全ての食費を牛丼単位で冗談で数えたりもした。

そんな僕は、①を確保しながら、②と③の間をうろうろしていたのだと思う。

だから、消去法としての①+α。
「αってなんだよ!」って感じだけど、それはやっぱり②になったり、③になったりする。

そんなお金とのつきあい方をすればいい。②になりすぎず、③になりすぎず。
バランスを取って、「お金さんとはいい距離感をとる!」
それがいいと思うようになっていった。

だから、
「お金は(そんなに)要らないです。」
「僕はお金のために動きたくはありません。」
といういわゆるノマド的な感じ。

でも、最近のこと、僕はその考え方だけではないと思うようになった。

それは、「人助けのために使う、物事を起こすためのお金。」


人助けこそ最大のエゴかもしれないが、これは途方が暮れるほどお金がいるかもしれない。物事を起こすためのお金もいるかもしれない。

言い方を変えるならば、
「究極の自己実現をするためのお金」だし、「心からの大きな夢を叶えるためのお金」。

こんな言い方は悲しいけれど、
世の中は今まで歴史的に善意で動いてきたのか、それとも、「金と権力と戦力」で動いてきたのか。
という究極の質問をすれば、それは大局的にみれば、自分が如何に忌み嫌おうとも、正義ぶってみても、もう圧倒的に「金と権力と戦力で動いているぜ!」というのがたぶん正しくて、だから政治や国家、そして、その体制に巻き込まれている人の歴史や生活を決定しているものは、それは「金」であって、「権力」であって、「原子爆弾」だと思う。その枠組みで生きている人間個々をミクロでみてみても、結局は金の力に巻き込まれているっていうのが真実だと思う。

だから、僕は、貪欲に金儲けをしたいと思った。
それを、男気良く、「いいな~」って心が泣けるくらいのロマンに賭けたいぜって!

それまでに、Entrepreneurとしてのスキルを磨く。
そのスキルを使って、バコバコと人を巻き込む。
事業(=僕にとっては、事業はお金を効率よく人のために使う方法)をバコバコ作る。
そんで、幸せな笑顔をたくさんみて、俺も笑顔になる!

そんな風なのがいい。

戦争に使うお金だって、自己民族を守るためといってしまえば、「人のため」なのかもしれないけど、そんなレベルの話じゃなくって、それを、誰かと争うためじゃなくって、誰かに勝つためじゃなくって、「本当に人が幸せに生きる生き方」を追求して、それを実現するために使いたいって俺は心から思ったんだ。それを実現するために、エゴで貪欲な人間も「金」という道具でグイグイ巻き込んで、強か(したたか)に正しいと思うことを実現するんだ。そのために、お金というのはたぶん「非常に重要だ!」という現実的な見方をするほうがいいのだと思った。

だから、「お金なんて汚いぜ!」っていうのは簡単で、その逆は、「俺はキレイだぜ」っていってるのがせいぜいの自己満足で、それじゃ何も成せないだろっていわれたら、それは結構、現実的には「的を得まくっている」んだと思う。

そんな悔しい的を得た指摘をされるぐらいなら、
「俺がどこまで金儲けできるか全力で挑戦してやろうじゃないか」って思う。

いろいろ経験した今なら、
どれだけ貪欲に追求しても、今までの失敗は少なくとも繰り返さないし、お金を軸に生きる人間にはならない(=金の奴隷にはならない)自信がある。

だから、真っ正面から、お金ってやつに向き合ってやろうじゃねえかと。

①のお金だけはさっさと気合いを入れて貯めて、死なない準備をして、勇気を蓄えて、その間にめちゃめちゃすごいスキルを付けるんだ。あとは「人助けのために使うお金。」に全部惜しまず使う!

それがすっきりしてていいと思うんだ。

それが、僕が今思う「賢いお金とのつきあいかた。」
そうしたら、お金って言う神様は、自然と俺に微笑んでくれるはずだ。

最後に、こんな中国のことわざがあるそうです。
・お金で「家」は買えるけれど、「家庭」は買えない。
・お金で「時計」は買えるけれど、「時間」は買えない。
・お金で「ベッド」は買えるけれど、「睡眠(快眠)」は買えない。
・お金で「本」は買えるけれど、「知識(知恵)」は買えない。
・お金で「名医」は買えるけれど、「健康」は買えない。
・お金で「地位」は買えるけれど、「尊敬」は買えない。
・お金で「血」は買えるけれど、「命」は買えない。
・お金で「セックス」は買えるけれど、「愛」は買えない。