30歳を目前にして。 | 色塾BLOG-

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日々のビジネス・社会に対する思いや、起業に向けた考え、読書に対する感想など様々な話題を、海外で働くマーケターとしての第3者の視点から展開。

今は、人生の中でもベスト10に入るくらいは苦しい時期に当たると思います。

僕の30年間は、自分でいうのも小っ恥ずかしいですが、たぶん平凡ではありませんでした。すごく凸凹で、もう天国かと思うほど楽でイケイケな時期もいくつもあったし、死にたいと思うほど辛い時期もいくつもあった。実態がどうかというのはどうでもよく、自分はそうやって凸凹に生きてきたんだと思っているということであり、そう感じているということです。

今更ですが、僕は3月で自分たちで作った会社であるエモーチオを離れました。諸処、感じることがあっての退職でしたが、それはそれで自分の腹決めとして決めたことです。

僕は、「今」の自分の思いを大事に生きていきました。
その「今の思い」への正直さと真っ直ぐさだけで、突っ走った20代の10年間。

若気のパワーが爆発していて、「俺が俺が」を爆発させた前半5年間と、自分を軸に生きることをできる限り辞め、人への信頼と相手の気持ちを軸に生きると決めた後半の5年間。

どちらも、周りの方に、最大限助けて頂いた10年間でした。

本当に周りの方に恵まれた10年間の中で、感じ方を揺さぶられ、考え方を揺さぶられ、とにかく迷いに迷い、揺れに揺れた10年間だったと思います。俺だ俺だと考え、人の気持ちを解せなかったかもしれない前半5年間でさえ、僕は非常に多くの愛情に支えられました。そういう意味では、最高に幸運な人間だと思います。ありがとうございます。

どっちも自分なりに、狭い視野で極端に集中をすることで、できる限り両極端に最大限振り切ったと思います。

少なくとも、あれだけの「俺が俺が」精神にはもうこれからの人生戻ることはないでしょう。この振れ幅は、人生におけるだいたいの自分の器の大きさなのかも知れないと思います。

そんな中でも、自分は我が儘に生きてきたし、反省することは山ほどありますが、自分の感情には素直であったと思います。

ここまでの人生で、良いことも悪いことも、小さな成功も小さな失敗も繰り返し、達成できた最大限の成功は、「見栄や鎧を捨てて、等身大の自分に出逢い、向き合う」ということだと思います。

小さいころは、知っていたはずの信頼や母親の温かさ、父親の愛情。それが競争とともに、知らず知らずのうちに嫉妬や虚栄に変わります。お金・地位・名誉。忌み嫌う対象だったものが、社会にでることによって初めて近づいてくる20代。その酸いも甘いも噛み分けた上で、「自分は、信頼と愛情と心の温かさで生きる」と割り切ることが30歳を迎える今の時点までにできたという点にだけにおいては、自分を褒めてやってもいいかと思います。

あと、実用的にこれだけはしない方がいいと得た知恵は、「生活レベルを上げないこと」。
これに尽きると思います。シンガポールから帰った瞬間にタワーマンションに住みたい思いはありましたが、辞めました。それは直感的に無駄だと思ったから。人間、不要なものは切り捨て、節約するべきです。それはいくらお金をもっていてもそうあるべきです。一度あげようとした生活レベルはなかなか下がりませんし、上がりたいという欲望は無限の螺旋階段ですし、その力は行けば行くほど強くなります。どこかで上昇気流を止めるだけの膨大な気力を持たなければ止まりません。実質的に生活レベルをあげて得られる物は、実は見栄のみであり、ほぼ無意味なだけでなく、とても大きな害だと多くの金を得た猛者を見てわかりました。結局は、人間は中身であり、登り詰めた人間にも本当にくだらない幼稚な大人もいれば、登らない人間にこそ本当に素敵に輝いている人が多いことを理解しました。自分の兄弟・親戚にも素晴らしい人間がいることは、幸せだと思います。結局は「人」であり、おいそれと付いていってはいけない人間が必ずいます。その見極めだけは間違えてはいけません。この点も、30歳を迎える今の時点までに「人を見る軸」という意味で失敗の中から腹決めできたことについては、自分を褒めてやってもいいと思います。

そして、人生を生きて行くにおいて、一旦の前半の人生で非常に良い選択だったと思うのは、実は就職だったかもしれません。P&Gというマーケティングで名の知れた企業に入り、中身はたとえ伴わなくとも、その名だけであと数年間は少なくとも生きていけるだけのセーフティを得られたことは、自分の人生をかなり楽にしてくれていますし、自分が好き勝手にやり、いろいろと気づかされるだけのチャレンジをさせて頂ける環境整備をしてくれたという意味においては、本当に有り難く感じています。

最後に、僕が20代で得たものは、仲間です。いろいろあるかも知れませんが、僕の財産は仲間以外にあり得ません。いつでも助けてくれ、いつでも身を張って助けたいと思う。そういう仲間が、僕には沢山います。これが、何よりも僕が生きてきた証であり、仲間が1人欠けていれば今の自分は欠けているかも知れない。1人1人が大好きだし、大事です。

僕が凸凹といいながらも、この30年間で得た知恵は、まとめてみると実はこんなことなのかも知れません。一生懸命生きたつもりではありますが、実はこれだけのことかも知れません。

でも、この腹に突き刺さった4点を刻み込んで、30代をもう一度エンジンかけ直して走ります。

酸いも甘いもいろいろ真っ正面から受けて我武者羅に生きたつもりでしたが、実は、転職も多かった10年間。本当は、忍耐力の弱さのために逃げてきた10年間かもしれません。そう思うと悔しいですが、その課程で少なくとも得た教訓を活かして生きるしか僕にはできない。だって、それが俺の人生だからです。

人生は1度きり。

このことを深く腹から理解し、自分なりの人生を謳歌したいと思います。

一旦、僕が思う目標は、自分の生活は最低レベルに押さえながら、お金を貯め、仲間の協力を得て、最高の教育機関を作る。このことが僕の使命だと思います。赤ちゃんから大人まで、感受性の強い人間に、倫理・道徳・世の理を伝える。立派な人間を作り、立派な世の中を作る。活きる人間をつくる。

倫理観もへったくれもない生き方をしてきた俺。

30歳になったばかりの坊やにはまだわかっていることも少ないと思いますし、まだまだまだまだ修行が必要なことは自明ですが、僕の使命はやはりここにあるように思えて仕方がありません。

なので、このことを突き詰め、自らにおいては日々学びに励み、人生を一所懸命に生きるのみであります。

引き続き我武者羅に。
でも、もう少し広い視野を持って。

60歳を1つの人生の循環とするならば、人生の半分を折り返す今日この日を、
俺は一生懸命にいきていくんだという宣言で括りたいと思います。